わが闘争の歴史 番外編

 C肝はもちろん、結核、腸閉塞、腰痛、糖尿病などのことを書いてきた。最近齢をとったせいか、亡くなった祖父母のことを考えることがある。私は、惣領の長男で母方にとっても初孫であった。
 今から50年も前の関東の端っこは、お産といえば実家で済ませるというのが当たり前だったようだ、私もご他聞に漏れず母の実家で生まれた。大変な難産だったようだ「難産の子は育つ」という言葉のとおりここまで大きくなったが、何時間も苦しんで生まれてみたら、オギャーという泣き声一つ立てない、仮死状態で生まれたようだった。別室にいた父や祖父は死産だと思ったという。
 けれどお産婆さんや当時看護師だった今は亡き叔母が、マッサージといえば体裁はいいが、頬の一つや二つ叩いたらしい。そうしたらほんの小さな産声をあげたらしい。
 この声を聞いてますます、父や祖父はやっぱり駄目だと思ったらしい。けれど運よく徳俵でこらえてここまでたどり着いた。
 お産のときにお世話になった叔母は、その後脳腫瘍で亡くなった。皆が見守る病院のベッドで、私の1歳の誕生日のことを気にかけて亡くなったという。祖母からは、写真でしか知らないこの叔母の供養を生前頼まれている。久しくご無沙汰しているので、今度墓参りにでも行ってみよう。
 生まれて来たときから、何となく助かった運のよい人生かもしれないが、これからどんな病魔が襲ってくるのか、闘争はまだ続いているのかもしれない今はしばしの休息中ということかもしれない。