中年の愚痴

 今日は昨日と違いちょっと肌寒い、パジャマの上を着ないでTシャツで寝ているからかな、朝、新聞をとりにいって少し庭で読んだせいかもしれない。
 新聞と一緒に求人広告があった、今は不況だなんのといっても、働く意思があり、仕事に注文をつけず、足腰が丈夫ならば仕事って結構あるなと思った。
 今の貧乏は飯が食えない貧しさではないかも知れない。
 貧しさの問題は相対的なものではないだろうか、現代の貧しさは心の貧しさではないかと思う。奴がしているローレックスの腕時計を俺もしたい、お隣が欧州旅行に行った、自分も年末年始家族そろって、ハワイに行きたい。もしかしたらこうしたスタイルの満たされない思い、心理的な窮乏感が今の貧しさの実態かもしれない。
 皆がぼろを下げていた時代は、自分がぼろを下げていても恥ずかしくない。皆がキンキラキンの格好をしている時に、洗いざらしのものを着ていたら恥ずかしい。それはそうだが、物事には限度や際限がある。これを踏み外すと厄介なことになり面倒が起きてしまう。危ない。
 自分は、枠内でやり繰りして欲しいものを交通整理して腹八分目でやっていこう、それにはまず健康が一番だ。最終判定を気にかけながら、中年の愚痴を思う朝だった。